比較の幸福論

 2017-09-02
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子供の頃、海外の貧しい暮らしをしている人達がテレビに出ていると、、
「ホラ、食べたくても食べ物がない人達も居るのだから
 好き嫌いをせずに食べなさい」とか、
「勉強をしたくてもできない人達も居るのだから
 しっかりと勉強しなさい」などと言われた事もあるのではないかと思います。

その時は「なるほど」とは思うものの、
いざ、自分の前に食べたくない食べ物が出てきたり、
勉強を強制されたりすると、
「食べ物があっても食べたくない人も居るんだ」とか
「勉強ができる環境でも勉強をしたくない人も居るんだ」と、
自分だって可哀想な存在だと言いたくなってしまう事もあったりしますが、
どうしてそう言う風に思ってしまうのか?と言いますと、
それは「幸せを比較で論じているから」かもしれないそうです。

「あの人よりも良い男とつきあっているから幸せ」とか
「あの人みたいに借金を持っていないから幸せ」
などて言う「比較の幸福論」で考えて行くと、
「幸せ」はあっと言う間に裏返って
「自分は○○を持っていないから不幸」とか
「自分には○○があるから不幸」
と言う思考になってしまう事も多いみたいです。

また、そんな風に親は「比較の幸福論」を持ち出す一方で
子供が「友達はみんな○○を買って貰っている」などと
自分の境遇の不幸さをアピールすると、
「みんなはみんな、うちはうち」とか
「上を見たらキリが無いでしょ」
などと言い出すので
子供は何を基準にすれば良いのか?
と困惑してしまう事もあると思います。

他者と比較して「ある」とか「ない」で幸せを論じていると、
他者よりも持っている時は安心し、ない時は不安になる・・
を繰り返す事になってしまいます。
勿論、「ある」が続いていれば良いのですが、
他者と比較をすると、ついつい、自分の「持っていない部分」を
探し出しては不安を感じてしまい、
他者を見る度に「幸せ」とか「不幸」とかを論じていては、
心が落ち着かなくなってしまうと思います。

犬を育てている時も、
ついつい、他の飼い主さんと比較して
「うちの犬は幸せかどうか?」と考えてしまう事はあると思います。
「犬の幸せ」を考えてあげられている時点で
その子は幸せだと思いますが、
飼い主さんの方が「比較の幸福論」で考えすぎるあまり、
「うちの犬は不幸なのではないか?」と、いつも心配そうな顔をしたり
まるで不幸な子を扱うかのように
過干渉気味にお世話をしてしまうので、
犬の方も「自分は幸せではないみたいだ・・」と思ってしまって、
元気や自信を失ってしまったり、
「自分は不幸な犬だからこれぐらい要求しても当然」と、
ワガママな行動の問題を発揮してしまう事もあったりするみたいです。

なので、まずは飼い主さんが「幸せの基準」を
「他者との比較」に求めるのではなく、
自分がいつ、どんな時に幸せを感じるのか?とか、
自分の犬は、いつ、どんな時に嬉しそうにするのか?
と考えてみるのも良いと思います。

勿論、最初はこれまでの思考の習慣から、
「他者との比較で良い結果に終わった時」に
幸せを感じてしまうかもしれませんが、
そうして、他者と比べて「幸せ」や「不幸」を感じていると、
幸・不幸の結果を他者にゆだねてしまう事になる為、
幸せを感じても、どこか満足感を得られなかったり、
不幸せを感じると他者に怒りを感じてしまったり・・と、
慢性的なストレスやイライラを持つ事に
なってしまいかねませんから、
幸せを感じるのも自分、不幸せを感じるのも自分と
結果を自分の中に求めるようにしてみると、
他者に振り回される事もなくなり、
不満やイライラも解消されるのではないかと思いますし、
「結果」を自分で背負う事によって
「自信」も育って行くのではないかと思います。

そもそも、他者と比較をしてしまうのは
自分に自信がないからだとは思いますが、
そうして、他者と比べて一喜一憂しているうちは
本当の「自信」は育たないと思いますので、
「幸せ」も「不幸」も誰かと比較をして得られるものでは無く、、
自分の気持ちの持ちよう・・として、
自分の気持ちと向き合って行くようにしてみると、
犬との暮らしも「のびのび」と過ごせるように
なるのではないかと思います。(^▼^)ノ
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